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自民党元幹事長 自民党元副総裁。山崎派(近未来政治研究会)会長。同党衆院議員。当選12回。1936年、中国・大連生まれ。祖父は玄洋社幹部で炭鉱を経営していた山崎和三郎。小学3年の時、けがで左目を失明。早稲田大学商学部卒業後、ブリヂストン勤務などを経て67年に福岡県議初当選。72年、衆院議員初当選。84年、中曽根康弘内閣の官房副長官。89年、宇野宗佑内閣の防衛庁長官。91年の海部内閣当時、宮沢派の加藤紘一、三塚派の小泉純一郎と当選同期3人でYKKトリオを結成。同年、宮沢喜一内閣で建設大臣。95年、橋本龍太郎内閣で自民党政調会長に就任。98年、旧中曽根派を離脱し山崎派を結成。99年の自民党総裁選に出馬、憲法改正を公約に掲げたが3位で小渕恵三に敗れた。2000年の「加藤の乱」では加藤派が党執行部の反撃で総崩れとなる中、山崎派は脱落者がほとんどなく党内で評価された。01年から03年まで自民党幹事長。同年、党副総裁に就任したが女性スキャンダル報道の影響もあって衆院選で落選。05年の衆院補選復活。こ...

自民党元幹事長 自民党元副総裁。山崎派(近未来政治研究会)会長。同党衆院議員。当選12回。1936年、中国・大連生まれ。祖父は玄洋社幹部で炭鉱を経営していた山崎和三郎。小学3年の時、けがで左目を失明。早稲田大学商学部卒業後、ブリヂストン勤務などを経て67年に福岡県議初当選。72年、衆院議員初当選。84年、中曽根康弘内閣の官房副長官。89年、宇野宗佑内閣の防衛庁長官。91年の海部内閣当時、宮沢派の加藤紘一、三塚派の小泉純一郎と当選同期3人でYKKトリオを結成。同年、宮沢喜一内閣で建設大臣。95年、橋本龍太郎内閣で自民党政調会長に就任。98年、旧中曽根派を離脱し山崎派を結成。99年の自民党総裁選に出馬、憲法改正を公約に掲げたが3位で小渕恵三に敗れた。2000年の「加藤の乱」では加藤派が党執行部の反撃で総崩れとなる中、山崎派は脱落者がほとんどなく党内で評価された。01年から03年まで自民党幹事長。同年、党副総裁に就任したが女性スキャンダル報道の影響もあって衆院選で落選。05年の衆院補選復活。この間の04年、北朝鮮高官と大連で接触、小泉首相の2度目の訪朝につながったとされる。同年、首相補佐官。05年、衆院郵政民営化特別委員会の与党筆頭理事。同年10月、靖国神社とは別の追悼施設建設を目指す超党派議連「国立追悼施設を考える会」を結成し会長に就任。党国防関係議員の有力者。柔道6段、囲碁5段。本名は「やまさき・ひらく」と読む。

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出典:総合データベースサイト「coron」 執筆者 : .

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